西暦和暦出来事
1750年頃江戸時代中期『岩戸神楽舞』創始
1925年大正14年毎年の自治会行事となり、現在の集会所で奉納されるようになる
1931年昭和6年満州事変により一時中断
1956年昭和31年完全復興
1958年昭和33年4月 山口県指定無形民俗文化財に指定
2008年平成20年12月5日 この日が最後の奉納となり、途絶える
2018年平成30年8月『岩戸神楽舞』復興委員会の設立
2019年令和元年12月7日『岩戸神楽舞』仮披露
2020年令和2年11月『岩戸神楽舞』オリジナルグッズ販売
12月5日『復活祭』にて本格復興を果たす

歴史

 二ッ道祖(ふたつさや)とは2つの道祖神が鎮座することに由来する自治会名である。
この地は神話伝説に富み、敬神の念が厚い。
 殊に自治会の一隅にそびえる海抜300mの御伊勢山に奉祀する皇太神宮(天文14年奉祀)に対する尊崇は古来極めて厚く、その発露が奉納行事としての岩戸神楽舞の創始となったものである。
  およそ200年前、長谷川庄兵衛なるものが当時の河本宮司家(河本現宮司の先祖)から伊勢式岩戸神楽舞の伝授をうけ、これを基本として同じ伊勢式別流の長所も取り入れ、奉納舞として創始したのがこの五調子岩戸神楽舞という。
 当初は長谷川家をはじめ、大谷、古川、荒川、矢原、木村等(何れも現自治会同姓者の先祖)で連中をつくり、舞楽を分担し、一家相伝の特技として奉納していた。
 明治末期頃から自治会行事となり、一般若連中により毎年の奉納が行われた。
 満州事変後一時中絶したが、昭和31年幸いにして中絶当時の舞楽担当者が健在であったので、衣装用具等の一部を補充し、五調子岩戸神楽舞を完全に復興し、昭和33年4月山口県無形民俗文化財に指定された。
 岩戸神楽舞は神話天岩戸の場面を象徴表現するものである。御伊勢山皇太神宮に奉納するわけは、神威をおろがみ謝すると共に、上御武運長久、家運繁栄、五穀成就、馬安全を祈り、その旨を祝詞奏上する。
 楽は太鼓、笛、摺り鉦の五調子でこの舞を正式に舞い納めるためにはおよそ4時間を要する。

概要

 この神楽舞は右記(舞の順序表)の舞(十種十二座)に天蓋操
作が加わり、これを太鼓・笛・摺り鉦の五調子囃子に合わせて演出する。
 毎年12月5日の夜、御伊勢山皇大神宮遥拝所に神座を設け、神燈を掲げ幕を張り、右正面には玉と鏡を掛け紅白の布帛を垂らした大榊を立てて、その前で舞う。
 舞場の天井からは天蓋をつるす。
 舞の次第は、太鼓・笛・摺り鉦の五調子囃子に合わせて神楽舞の一番、二番、三番、三宝の舞、榊の舞、鉾の舞、剣の舞とつづき、祝詞の舞では奉納の祝詞を奏上する。
 以上各座の舞はいずれも採物の舞で、神のもつ採物によって悪魔切祓いの所作を中心とするものである。
 その間の神楽舞の二番には、天邪鬼(随神)の滑稽が加わり、神楽舞と三宝の舞には、掛け歌が伴う。
 三宝の舞と榊の舞の間には、独特の天蓋操作があって、神降臨の神態を摸出する。
 ついで岩戸の舞、姫の舞、鬼の舞の三座はそれぞれ天の岩戸の神話を仕組んだ舞で、この神楽がいわゆる岩戸神楽舞といわれるゆえんをなしている。最後に弓の舞の座では、四方八方への特殊な祓納めの呪術を帯びる弓の所作が行われ舞い納められる。
 この神楽舞が神への奉納舞であることで、神を拝して始め、神を拝して終わることは、基本法則である。
 舞者は原則として、1m四方の範囲内で舞うことに限定されている。
 岩戸神楽舞としては、紛装が質朴で採物舞の多いことが特徴とされている。